あなたが私を見つけてくれた

魂の相手との出逢いを通じて、日々感じることを綴っています。

両親のこと

5月の連休中、家事以外の氣が進まないことは省いた。

ヨガをしたり、瞑想をしたりした。

夫と顔を合わすことも、同じ空間にいることも苦しかったのだけど、

少しづつ氣にならなくなっている。

お姑さんに対しても結界を張るように接した。

私は余計なことは言わない、というか、言う氣にさえならなかった。

そして、私は私に対して、再びイラっとする。 

 

鏡の法則と思っても、どうしようもないのだ。

こんなことを思ったらだめだ、と蓋をすることはできない。 

ドロドロしてる、私は...嫌な人間だなと思う。

相手に嫌悪し、相手を傷つけて、自分自身を傷つけている。

ごめんね...

そして、そんなネガティブな私の時は、

彼とのエネルギーの交流時の身体の反応も今一つなのだ。

心のモヤモヤは体感にも影響する。

そして、私が前向きでいられないと、

何となく、彼へ力をあげられていないように思う。

果てしなく出てくる、自分の中のもの。

途方に暮れてしまいそう。

だけど、自分の傲慢さを少しづつ、手放していきたい。

義務ではなく、心から愛を感じられるような私になっていきたい。

時間はかかるかもしれないけれど、

自分自身と、目の前の今いる人たちを大切にしていきたい。

 

7日のウエサク満月はとっても美しかった。

オレンジ色で大きくて、空氣も澄んでいたようで、とても神秘的だった。

 

私たち夫婦の関係性は、私の両親の関係性によく似ていると思う。

私は、幼い頃から父が大好きだった。

母は干渉が強い人で、私はよく母に叱られた。

そんな時は父がよく助けてくれた。

父は、とても大人しくて優しかった。

父は優しいが故、母には頭が上がらなかったと思うし、

母には母の想いがあったのだと、私も年を重ねるごとに、

当時の母の立場や氣持ちも理解できるようになった。

夫婦にしかわからない想いもあったかと思う。

幼い頃の私は、”母のようには絶対ならない。”と

反発心を持っていたのに、今の私は夫に対して、

あの頃の母と同じような対応をしている。

 

お風呂に入りながら泣けてきた。

私は癒されてなかった、と感じた。

母のことを、自分が子育てしてきた中で、

完結できた、許せた、と思っていたのに、

母に対して、まだ、わだかまりが本当はあるんだ...と思った。

今は何のわだかまりもないと思っているだけなのかな...

夫に心なく接してしまう。

あの頃見ていた母の姿になっている私。

夫に対して嫌悪感がなくなったと思ったら、また再燃してしまう。

そして、大好きだった父が夫と重なる。

あの時、”どうしてお母さんはお父さんを敬えないの?”

”どうしてもう少し優しくできないの?”って思っていた。

今の自分は・・・? 同じことをしてる。

夫に心の中で、”ごめんね...”と言う。

 

夜、寝ているときに両親のことを思い出し、とても悲しくて、涙が溢れ出てきた。

たくさん泣いた。